いのちの手紙

30年前の夏。

ベッドから起き上がれずに、一人では家から一歩も出られなくなってしまった心の病と闘う少年がいた。

少年がテレビをつけると、そこには甲子園で活躍する彼のクラスメイト達の姿が映ってい た。 そして、アルプススタンドには声援を送る同級生達の楽しそうな顔が…

まさに眩しく輝く光と、人生のどん底の暗闇だった。

少年は身体が弱く、成長も遅かったことで、幼少期より成長ホルモンの治療を受けていた。
そんな普通の子と違う自分が嫌で嫌で仕方なかったけど、テストで良い点を取り、言いつけを守ることが唯一認めてもらえる瞬間だと、必死に生きていた。

そんなある日、小学校の担任の先生の一言で、隠していた成長ホルモン治療のことがクラスメイトに知れ渡り、その日からイジメの標的に…人の目が怖くなってしまった。
今思えば、子供同士の他愛もないことだったかも知れない。けど、当時の彼の世界は学校だけだったから、自分の居場所はないんだと絶望していた…

そう。
その少年こそが30年前の僕自身。

実家がスーパーを経営していたなどの環境的に恵まれていたり、多くの人に支えてもいただいたおかげで社会には復帰できたものの、自分を認めることが出来ず、いつも心が満たされることはなかった。 そんな僕の事を愛してくれる女性と出逢い、そして結婚することに。

その結婚式の朝。 お父さんから手紙をもらった。 手紙を読み終える前に涙が溢れて、はじめて喜びの涙を僕は知った。 手紙が僕の心の大切な芽を育ててくれた。

実際の結婚式の朝の父からの手紙

昭和51年9月9日夜 お母さんの実家から、お産のために入院したと連絡がありました。 初産なので時間がかかると思い、誕生の朝、青果市場の競売が終わってから病院に行けばと考えていましたが、競売中に市場の電話で呼び出され宗の誕生を知らされました。 競売場に戻ると十人程の親しい仲間が万歳三唱をしてくれました。その喜びは今も忘れることがありません。 〜中略〜 あやさんが初めて家に来られた時の所作を見て、ご両親の慈愛と躾のもとに立派な女性だと安心し、ご両親に感謝の念が湧き上がりました。 あやさんならきっと女性として妻として母として、立派に人の道を全うしてくれると確信しました。 宗にはこれまで余分な心配や苦労を掛けてしまいましたが、その分、人に対しての優しさや思いやりの心は人並みに育っていると思っています。 これからは二人力をあわせ、健康な家庭を築き、小さな幸せに喜びを感じ、志を高く二人が納得できる人生を送ってください。

父より

いつまでも、いつまでも。 何度でも、何度でも、 想いを確かめられる手紙の文字。 相手を心から想うあたたかな文字は、生命を救い心を満たし、絆を深める。 そう、文字は人間だけに神様が与えてくれた宝物。

想いをカタチにする筆文字セラピスト
僕の原点。